自分への「投資」だけでなく、「浪費」することも必要

自分を律して、自分への「投資」としてお金を使うことも大事ですが、「浪費」をして贅沢をすることも人生の楽しみでもあります。何でも投資だと思わず、ただ「浪費」を楽しめる生活も送りたいと思います。

目次

「投資」と「浪費」

例えば以下のようなサイトによると、「投資」とは、使ったお金>モノの価値となるもので、「浪費」とは、使ったお金<モノの価値となるものと定義されています。

「投資」「消費」「浪費」。この違いを覚えておこう

これは何となくイメージがつきます。高級車やブランド品は「地位財」で、ステータスの誇示の一面もあります。そういう「見栄」にお金を使っていては、いつまでたってもお金は貯まらないでしょう。

資産形成という点では、「浪費」は大敵といえます。

一方で、「浪費」を一切しない人生も面白みがありません。

「投資」という考えは将来の豊かさを見据えたものだと思いますが、将来のために、今を犠牲にしすぎるのも良くないと思います。もちろん将来のことを全く考えなくていいわけではありませんが、今を楽しむことも必要ではないかと思います。

必要なものを必要な量だけ持つというミニマリストな生活は、一見シンプルで美しいですが、余分がないということでもあり、何かアクシデントがあればすぐに困窮するということでもあります。ミニマリストになるには、そういったアクシデントを常に警戒して、必要な量を必死になって守る必要があります。それはそれで豊かな生活とは言いづらいでしょう。

また、何をもって「浪費」と考え、何をもって「投資」と考えるのかはあいまいです。人によっては「浪費」にしか見えないことも、「投資」につながるものもあるでしょう。

「浪費」と「投資」の違いは、浪費しないとわからない

理屈の上では、「浪費」は避けるべきものかもしれませんが、実際にはその区別をすることは難しいです。

それであれば、どうなるかわからない将来のために今を我慢するばかりではなく、今を楽しむための「浪費」も必要ではないかと思います。

「モノ」を受け取る浪費、「観念」を受け取る消費

暇と退屈の倫理学」では、ボードリヤールという社会学者・哲学者による「浪費」と「消費」の区別について説明されています。

いわく、「浪費とは、必要を超えて物を受け取ること」であり、「消費とは、物に付与された観念や意味」を受け取ることとされています。

食事をするとき、その食事の味や香り、食感などの「モノ」を楽しむことは「浪費」ですが、SNSに投稿するために話題のグルメ店に行って写真をアップすることは、食事ではなく周囲からの「承認」という観念を受け取るための行為といえます。

食事そのものは満腹になれば終わりますが、「承認を得ること」は満腹になることはありません。「浪費」には終わりがありますが、「消費」には終わりがなく、永遠に満たされることはありません。人生を楽しむためには、いつまでも満足しない「消費」をするのではなく、モノ自体を楽しみ、終われば満足する「浪費」をすることが重要です。

「浪費」することは、ただお金をたくさん使うことではなく、今を楽しみ、満足することなのではないかと思います。

「浪費」をするにも、訓練が必要

「暇と退屈の倫理学」に基づくと、「浪費」とは必要以上に物を受け取ることであり、決してお金をたくさん使いまくることとも違うと思います。食事をするときに、空腹を満たすためだけに食べるのではなく、味を楽しんだり香りを楽しんだりといった、日常生活に楽しみを見出すことでもあります。

一方で、日常生活を楽しみ、満足することにも訓練が必要です。食事そのものを楽しむには、食材や調味料の味を知る必要があるでしょうし、スポーツを楽しむにも、ルールや選手のことを知ることが必要でしょう。

そういった訓練をするためには、やはりこれも「浪費」することでしか訓練できないのだと思います。

ただ将来のために「投資」ばかり考えるのではなく、今を楽しみ満足するための「浪費」もしていき、いろんな経験をしていくことで、人生も楽しくなるのではないかと思います。 キャリアアップや成長だけではなく、趣味を楽しむことも考えていきたいと思います。

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