「五老星」は本当に悪人なのか?【ワンピース】

「ワンピース」の単行本を最新刊まで読みました。今のルフィたちの「敵」は五老星でしょう。彼らは確かに悪役ですが、やってることは悪いことなのか?読者である自分が年齢を重ねていくと、単純に善と悪を区別できなくなってきています。

目次

命がけで「空白の100年」を守ろうとする五老星

私が小学生のときから連載しているワンピースも、だんだん終盤に近づいています。
単行本の109巻の時点では、とうとう「五老星」もルフィの敵として立ちはだかります。

ONE PIECE 109 (ジャンプコミックス)

「五老星」がルフィたちの前に出てきたのは、ルフィたちが「空白の100年」という、「五老星」たち現在の権力者にとっては都合の悪い歴史に迫ろうとしているからです。
「都合の悪い歴史」を白日に晒されるのを阻止するためなら、自分たちが戦場の前線に立つことも辞さないようです。

ワンピース109巻1104話より

読者は私も含め当然ルフィ側なので、それを邪魔する五老星は「悪役」です。
若くて勢いのある新時代の若者の快進撃を、既得権を持つ「老害」が阻止しようとするのは、読者としては「老害」をやっつけて欲しいと思ってしまいます。

でも、五老星のやってることは本当に悪いことなのか?

悪役にも「正義」がある

私が子どものときのワンピースの敵といえば、アーロンとかクロコダイルでした。
子どもだった私はアーロンやクロコダイルが憎たらしかったですし、ルフィが彼らをぶっ飛ばした時はスカッとしたものです。

でも、私も社会に出ていろいろ経験していき、おじさんになっていって、アーロンとかクロコダイルが単純な「悪」とも思えなくなってきました。

アーロンは魚人族で、人間から不当な差別を受け続けていました。
アーロンがココヤシ村の住民から略奪をして人間を支配下に置こうとしたのは、魚人は人間から差別を受けるような存在ではなく、むしろ人間よりも優れた存在だということを知らしめたかったことが動機です。

私が大学生で就職活動をしていた時期は、リーマンショックの影響で就職氷河期でした。
就職が上手くいかない同級生は多かったですが、当時の大人たちの中には、「若者が就職できないのは社会のせいではなく、ゆとり世代である若者が劣化しているからだ」というような論調もありました。

どう考えても経済が冷え込んでいるから就職率が悪いのに、なぜか大学生に原因があるみたいな言い方をされたものです。
「ゆとり世代とかいってバカにすんな、このおっさんたちを見返してやる」という怒りのパワーが会計士の試験に受かった要因かもしれません。
そういう意味では、やり方は違えど、動機はアーロンとそんなに変わりません。

クロコダイルは、アラバスタ王国を乗っ取り、弱者を切り捨てる冷酷な海賊ですが、彼にとっては海賊はビジネスです。
そして実際に経済的には大成功しています。

こういう「シゴデキだけど性格が終わってる人」って、普通に世の中にたくさんいますよね。むしろそういう人が、会社では順調に出世していき、ビジネス系インフルエンサーみたいな括りで、悩めるビジネスマンから尊敬されていたりします。

ワンピースの世界ではクロコダイルは(一時的にルフィの仲間になったとはいえ)悪役ですけど、実際の社会ではああいう人が幅を利かせてたりするものです。

悪役とされるキャラクターも、視点を変えれば善人にもなり、ヒーローにもなりえます。
偉人とされる人も、人によっては大悪党の場合もあります。

「正義の反対は悪ではなく、また別の正義」とはよくいわれますが、五老星だって「世界の平和・歴史・秩序を守ろうとしている為政者」という見方もできます。そこだけ見れば別に悪いことはしていません。
それを脅かそうとするのはテロリストであって、テロに屈せず戦おうとするのは、為政者としては当然の振る舞いです。
(見た目はグロいけど)

悪役とされる側にも、正義はあるものです。

才能を否定して努力だけを美化するのは、傲慢のはじまり 

天竜人だって、めちゃくちゃ憎たらしいですけど、親ガチャに成功しただけで悪いことをしたわけではありません。
いや、実際には人間を奴隷にしたり人身売買をしたりと悪いことばっかりしてますが、彼らはそれが悪いことだとは全く思っていないのでしょう。

生まれたときから「自分たちは天から選ばれた者で、地上の人間とは違う生き物である」という世界で生きていたら、普通に生きているだけでも地上の人間を下等な生き物と考えてしまうのも無理はありません。

ハンナ・アーレントはナチスの研究を通して「悪の凡庸さ」を説きました。悪というのは凶悪な人間や狂った人間が犯すものではなく、ごく普通の一般人が平凡に生きているだけでも起こり得るといいます。

天竜人は普通に彼らの社会の力学で生きているだけなんですけど、それが憎たらしく感じるのは、彼らが恵まれた境遇に「たまたま」生まれ落ちただけということをわかっていない傲慢さにあると思います。

将棋の渡辺明九段は、「自分は将棋の天才である」ということを認めたうえで、「その才能を与えてくれた将棋の神様や両親、その才能を信じて応援してくれる人たちに恥じない将棋ができるように、常に努力している」という名言を残しています。

画像はネットから拝借しました

「自分は天才なんかではなく、ただ誰よりも努力してきたから成功した」という武勇伝は一見美しいストーリーですけど、裏を返すと「だから結果を残していない人は、努力が足りていない怠け者だ」という傲慢さにもつながります。

才能とか環境はやっぱり大事ですよ。
私も(おそらく)会計・経理という業種に才能があると思いますし、会計士試験に合格するための環境をあらゆる人から与えてもらったから、努力ができたわけです。

天竜人には、生まれ持った才能や境遇を軽視し、「自分は成功できたのは才能とか環境は関係なく、努力のおかげ」と過信する人たちの姿に重なります。
「天竜人憎たらしい!」と思う反面、その憎たらしさはあながち自分の中にもあるかもしれないものです。

悪人にも悪人なりの正義があり、何なら自分が大事にしていることも誰かにとっては悪になることかもしれない。
そういうややこしいことを考えていくと、純粋に子どものときのようにマンガも楽しめなくなってきます。
年齢を重ねると、ジャンプのような正義が悪を打ち負かすストーリーを純粋に楽しめなくなってきます。何か寂しい気もします。

でもやっぱりワンピースは面白いです。
終わりが早く知りたい反面、終わってほしくない寂しさもあります。



▪️編集後記
昨日はオフ。スタバでブログを書き、奈良駅近くで異業種交流会に参加。
その後、西大寺の百貨店の本屋を散策&夕食。

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