初めてのフルマラソンで惨敗。それでも走り続ける理由

2023年2月に京都マラソンに参加しました。私にとっては初めてのフルマラソンでした。事前にそれなりに練習してきたものの、結果は制限時間ギリギリの5時間45分でした(ネット5時間30分)。さらには膝もケガをし、体調を崩し、数日間はまともに生活できない日々を送りました。なぜこんなことになったのか。それでも懲りずになぜ練習を続けるのか。

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京都マラソンでの惨敗

初めてのフルマラソンは真冬の大雨でした。走る前からシューズはズブ濡れ。靴下にまで水がしみ込んで指がふやけていました。スタート前からですよ。

それでも、初めてのフルマラソンで気持ちは高ぶっていました。準備は万全。練習もしっかりしてきた。ケガもしていない。あとはいつも通り走って、ゴールに向かっていくだけだと思っていました。

しかし。

最初の5キロで指の皮がめくれ始めました。実際に見たわけではないが、明らかに指がピリついている。雨に濡れてふやけた指がシューズと擦れたんでしょう。いきなり想定外の事態でした。

それをかばうようにして走ったせいか、20キロ時点で膝を痛めました。練習のときは20キロ走ってもどこにも痛みはなかったのに。

そこからは苦行でした。

30キロあたりでほとんど走れなくなり、トボトボ歩いてるだけになりました。もはやマラソンではなく京都市内を散歩してるだけでした。

何とかゴールしたものの、タイムは5時間45分。制限時間15分前でした。シューズを脱いだら、足は血だらけになっていました。

ほとんど走れなくなってから、「なぜこんなことになったのか?」とずっと考えながら走ってました(歩いてました)。

  • 雨の中走る練習をしてこなかったから?
  • 練習量が足りなかった?
  • フォームが悪かった?

今思えば全部当てはまります。なめていたんだと思います。練習で20キロを問題なく走れたんだからその倍ぐらいなら何とかなるでしょ。愚かでした。

マラソン後には膝の痛みは2か月ぐらい治らず練習もままならない状態になり、免疫が落ちたせいなのか、風邪をひき、キン〇マに謎の黒いブツブツができて激痛に悶える日々が数日続きました。

散々な目に遭いましたが、この失敗を教訓に、11月のつくばマラソンに参加し、フルマラソンに再挑戦するべく、練習中です。

なぜ走り続けるのか?

ランニングが趣味という話をすると、多くの人から「何のために走ってるの?」とよく聞かれます。私もよくわかりません。シューズとかウェアをそろえるのが楽しいとか、知らない道を散歩気分で楽しめるとかあるかもしれませんが、それが目的というわけではありません。夏はクソ暑いし、冬は着替えるのが億劫だし、雨が降ったらテンションは下がる。むしろしんどいとすら思います。

でも今日も普段どおり着替えを済ませ、走りにいきます。

多分、何か別の目的があって走ってるわけではないから走り続けてるんだと思います。健康のためとか、ダイエットのためとか、そういう他の達成したい目的の手段として走ろうとすると、すぐやめてしまうと思います。「別に今病気してないし」とか「2~3キロ体重落ちたしまあこれぐらいできればいいかな」とか理由をつけて。

走ること自体が目的なんでしょう。

  • フォームが崩れてないか
  • 心拍数が高すぎないか、逆に低すぎないか
  • 水分をそろそろ摂った方がいいんじゃないか

走ってる間はそんなことだけ考えて、他のことは考えません。考える余裕がない。体に負荷をかけることで、他の余計なことは考えないようになる。仕事の失敗とか将来の不安とか、過去や未来のことではなく「今」に意識を集中させる。それが私にとって走ることの意味だと思います。

体を動かす、目の前のことをやる

フルマラソンを金を払って出ようとするってちょっと正気の沙汰じゃないですよね。朝早くから昼過ぎまでまともに食事もとらずに走り続けて、とても健康のためとは思えないし、むしろ寿命を縮めてるような気もする。「何のために走ってるのか」というようなことをあれこれ考えてると、走ることにあまり意味はないような気がしてきます。

でも、体を動かしてると、日々の悩みからほんの少し解放された気分になります。今自分の目の前に降りかかっている負荷をいかに軽くして目的地まで走り続けるか、そればかり考えるようになります。

マインドフルネスみたいなものでしょうか。今のこの瞬間、今ある状況にのみ意識を集中させるということかもしれません。

仏教で言うと、「身口意の三業」という言葉があります。身体、言葉、考えることの3つの行いを浄めよ、という意味です。

「口と意」は仕事や学校でも意識することは多いと思います。相手を傷つけない言葉を選んだり、読み手に伝わる資料を作ったり、上司や部下の考えを想像しながらコミュニケーションしたり。

その点、「身」はけっこう疎かにしがちかもしれません。「ああでもない、こうでもない」とクヨクヨ考えたり、愚痴を言ったりするのもある程度はあってもいいかと思いますが、その前に体を動かし、筋肉や関節、内臓の声に意識を向けてみた方がいいのかもしれません。

体を動かす。目の前のことをやる。一所懸命になる。それが初マラソンが大失敗に終わっても懲りずに走り続ける理由なんだと思っています。

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