「好き」という言葉の罠

東京で好きだったタイ料理

好きなものに理由があるのか、あったとしても、それを言葉にできるかどうか。本当に好きなものは、言葉には表せないし、表せたとしても薄っぺらく感じます。

目次

本当に好きなことは、言葉にできない

会計・税務という職種を仕事にしてきて10年以上が経ちます。
この仕事が向いていて、「好きな仕事」といえるかもしれません。

仕事でExcelを使うことも好きですし、パソコンはMacを使うことが好きです。

仕事以外では、野球が好きですし、プロ野球ではヤクルトスワローズを応援しています。
カメラやランニングも好きなものです。

その「好き」をさらに深めたいために、独立という道を選んだともいえます。

これらのものがなぜ「好き」なのか。言語化しようと思えばできなくもありません。

数字を見るのが好きだから
関数を組んで思い通りに動くことが楽しいから
カメラで撮った写真はスマホとは一味違うから

どれも間違ってはいないですが、いまいちピンときません。

村上龍の「無趣味のすすめ」というエッセイで、「『好き』という言葉の罠」という章があります。

『好き』という言葉は曖昧(あいまい)だ。意味が曖昧なわけではない。言葉に込められている感情の強さの度合いがはっきりしないのだ。ないよりはあったほうがいいという程度の『好き』もあるし、それを奪われたり失ったりしたら死んでしまうかもしれないという強烈な感情や意志を伴う『好き』もある。

『好き』という概念を否定しているわけではない。だが好きという言葉は自家撞着・満足の罠に陥りやすい。程度の差はあっても、好きという感情には必ず脳の深部が関係している。理性一般を司る前頭前皮質ではなく、深部大脳辺縁系や基底核が関わっている。「好き」は理性ではなくエモーショナルな部分に依存する。

だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの?どう好きなの?と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好き」が脳の深部から湧いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的なギャップが生まれてくるからだが、逆に、他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。

本当に好きなものというのは、言葉で簡単に説明はできないから「好き」なのでしょう。

「感情」よりも「論理」が重要視されるけど

仕事の現場、特にコンサルタントなどの業種では、論理的思考(ロジカル・シンキング)が重要視されます。
私も学生から若手の社会人のとき、「ロジカル・シンキング」や「考える技術・書く技術」などの名著を読んで、ロジカル・シンキングというものを勉強しました。

仕事の資料を作るとき、あるいは何かを提案するとき、その結論に至った理由が「何となく」では説得力がありません。
ある結論に至った理由を論理的に、モレなく・ダブりなく説明することで受け手に対する説得力が強化されます。

コンサルタントの仕事ではなくても、上司と部下の関係性でも、論理的に説明できる部下は重宝されるでしょう。

私もロジカル・シンキングを否定はしませんし、仕事では役に立つことが多いでしょう。

しかし、例えばこれからどんな仕事をしていきたいかとか、これからの人生でどんなことを成し遂げたいかということは、論理的に考えても答えは出ないものでもあると思います。

「論理」よりも、「感情」で選んだものの方が原動力になりえます。

「何故かわからないけど好きで仕方ない」ものが、人生を突き動かす

税理士という仕事で独立することを選んだのも、税金・経理の仕事が好きで、それを自分で手を動かしてやることが好きだからです。

「なぜ独立するのか?」「なぜ税理士・会計士という資格を取ろうと思ったのか」と聞かれることがたまにありますが、突き詰めれば「好きだから」の一言に尽きるかもしれません。

村上龍のエッセイにもあるように、本当に好きなものは脳の奥深くのエモーショナルな部分に関わる部分で、理性で片付けられるものではありません。

「なぜあの人が好きなの?」「お金持ちだから」というようなやりとりを想像すればわかりやすいが、説明可能なわかりやすい「好き」は、何かを生み出すような力にはなり得ないのだと思う。

そういう突き動かされるような「好き」という感情が、何かを成し遂げる原動力になるものではないかと思います。



▪️編集後記
昨日は会計士業。メルマガの設定に苦戦中。結局サポートに問い合わせたりしています。

▪️娘日記
お風呂に入れると口をすぼめる仕草をします。おそらく機嫌の良いときの表情なのでしょう。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次