歴史小説は好きでよく読みますが、司馬遼太郎の「関ヶ原」を最近読みました。小説としておもしろいのはもちろんですが、歴史小説には、教訓も多いです。
司馬遼太郎「関ヶ原」のあらすじ
慶長5年(1600年)に今の岐阜県を主戦場として起こった「関ヶ原の戦い」と、そこに至るまでの権謀術数を描いた作品です。
天下を統一した豊臣秀吉が死に、跡取りである秀頼はまだ幼なく、権力争いで世が乱れると見られていたなか、秀吉の臣下で最大勢力である徳川家康が、天下取りへの野心を見せ始めます。
あくまで秀吉への忠誠を誓い、天下は跡取りの秀頼が担うべきと考えていた石田三成は、この家康の露骨な動きを嫌悪します。
そこからは、家康と三成による勢力争いの権謀術数がうずまきます。
家康は、秀吉の傘下にいた諸大名が、必ずしも一枚岩ではないことを利用します。
加藤清正、福島正則といった武闘派と、石田三成の文吏派が犬猿の仲であることを利用して、加藤・福島に近寄り、徳川の勢力としてしまいます。
他にもあらゆる工作をして石田三成率いる西軍の勢力を引き剥がし、関ヶ原での合戦に至ります。
結果は、家康の工作などが奏功し、たった数時間で家康率いる東軍が勝利します。
三成は関が原の戦場を落ち、自分の領地であった村に逃げ込むも東軍の追手に捉えられ、処刑されます。
「関ヶ原」から得られる教訓
関ケ原の戦いは、誰しもが歴史で勉強していることで、知らない人はいないと思います。
ですが、改めて小説として深堀りして読むと、そこから得られる教訓は多いです。
戦う前の準備が、勝敗を分ける
家康はこの戦が始まる前から、もっといえば秀吉がまだ天下人だったときから、ずっと自分が天下を取ることを虎視眈々と狙っていました。
そして、そのためにあらゆる準備をしてきました。
秀吉の死後、秀吉の正室である北政所の元に毎日通い、北政所からの支持を得ていたこと
朝鮮出兵をしていた加藤清正、福島正則が戦場から帰ってきたとき、家康だけが彼らにねぎらいの言葉をかけたこと
西軍総大将である毛利家や小早川秀秋など、西軍に属していながら家康と内通し、裏切るように仕向けたこと
「関ヶ原の戦い」は、「天下分け目の決戦」とよくいわれますが、実際には戦が始まる前にすでに勝敗は決まっていて、あとはその見通し通りに事が運ぶために、事務的に進めるだけでした。
この冒険ぎらいの老人は、戦略の冒険性をすべて消してゆき、勝利がほとんど事務化するほどの状態にまで事を運び、時を待ち、しかるのちに腰を上げようとするのである。(下巻、P.155)
税理士にとって、3月は確定申告の期限が迫る繁忙期ですが、繁忙期に仕事を漏らさず、ミスなく進めるには、繁忙期前の準備が大事だったりします。
・確定申告の仕事をそもそも増やしすぎない
・年が明けてから準備をするのではなく、日々コツコツと経理をしていく
・早く終るものは早く終わらせる(1月で終わる場合は終わらせてしまう)
「本番よりも、準備が9割」といえるでしょう。
「可愛げ」が生死を分ける
家康率いる東軍の主戦力は、福島正則、加藤清正など、もともと秀吉に重用された武将たちでした。
そんな秀吉に恩顧のある武将が、なぜ秀吉(秀頼)側ではなく、東軍に付いたのか。
彼らは、石田三成のことが大嫌いだったからです。
三成はとんでもなく優秀な人物で、その優秀な頭脳で商売を行い、秀吉に大きな利益をもたらします。
秀吉が天下を獲り、戦がなくなった治世では、加藤清正などのような勇猛な武将よりも、こういった頭の切れる官僚タイプの方が活躍します。
三成は秀吉の家臣としては後発組であったにも関わらず、どんどん出世していき、それゆえに多くの敵を作ることにもなります。
しかし三成も、自分の敵が多いことを気にかけず、むしろ「相手の方が不義理である」といわんばかりに対立したので、多くの有力武将が東軍に付いてしまいました。
現代の会社でも、言ってることは間違ってないかもしれないが、何か鼻につく人というのはいるものです。
ベンチャー企業でも、創業当初はテレアポや飛び込み営業をして売上を稼ぎ、やがて会社が成長してくると、外資系コンサル出身のエリートが一足飛びで幹部になったりすることがあります。
そうすると、創業当初から足で稼いできた生え抜き派と、エリート派とで社内が対立し、IPO前後で崩壊するということはよくあります。
人間はそうそう論理的には考えられません。感情でものを判断します。
カーネギーの名著「人を動かす」にも、
およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということを心得ておかねばならない。
と書いています。
三成に、もうちょっと人としての可愛げがあれば、あるいは三成は生きながらえていたかもしれません。
人を動かすのは「義」ではなく「利」である
戦に勝ったのは家康ですが、では家康が正義で、三成が悪なのか。
冷静に考えれば、秀吉の天下を奪おうとしたのは家康で、三成は秀吉に忠誠を誓い、秀頼の世を守るために挙兵しています。
当時の天下人への忠誠という点では、三成の方に「義」はあったでしょう。
しかし、多くの武将は三成ではなく、家康に付きます。
これは、多くの武将が、秀吉亡き後、お坊ちゃまの秀頼では天下をまとめきれないだろう。百戦錬磨の家康に付いたほうが、お家は安全である、という気持ちを持ったからです。
秀吉・秀頼への「義」よりも、自分の家の「利」を求めたわけです。
三成は、秀吉の恩に報いるには、東軍こそが賊軍ではないかと主張するものの、そんな「あるべき論」では人は動かず、「西軍に付いて、どんなメリットがあるのか」を考える必要がありました。
これは、仕事の営業でも同じことでしょう。
自分が売る商品やサービスがいかに良くとも、それがお客様にとって「どんなメリットがあるのか」が伝わらないと、お客様は購入しようとは思いません。
「あるべき」ではなく「こんな良いことがある」というコミュニケーションが、三成には必要だったのかもしれません。
歴史は暗記するものではない
司馬遼太郎の「関ケ原」は1966年に刊行されたもので、約60年前の作品です。
そこから歴史の研究は進み、今では史実ではないとされるエピソードも多いようです。
しかし、小説という形で歴史を楽しむのは、それが人生の教訓として生きる部分も多いからです。

歴史の授業では1ページにも満たない話を、歴史小説では深く掘り下げて展開されていきます。
私たちと同じ人間が生きてきた末に歴史となり、そこに至るまでには私たちにもつながる普遍的な教訓もたくさんあります。
なぜこんな出来事が起こったのか?
自分だったらどうするか?
そういったことを考え、現在の自分の仕事にも類推して活かしていくことが、歴史を楽しむメリットだと思います。
私のこのブログを読むより、実際に小説を読んだほうが100倍面白いので、ぜひ読んでみましょう。
▪️編集後記
昨日はセミナー準備、税理士業。
午後はイオンで買い物など。
▪️娘日記
イオンで一緒に買い物やお茶など。外出中は上機嫌でした。
夕方になるとギャン泣きですが、夜はけっこう長く寝てくれました。