「チ。地球の運動について」の漫画を読みました。アニメも放送中ですが、続きが気になって漫画を全巻買うことに。
「チ。地球の運動について」を読了
「チ。地球の運動について」は、まだ天動説が常識だと思われていた中世で、地動説を研究する人たちと、それを迫害しようとする人たちの物語です。
「C教」という宗教の信仰がこの漫画の世界の中心で、C教の教えに反する考えを持っている人は「異端」とされ、拷問によって異端者を「救済」するか、それが難しければ処刑されます。
C教では、地球が宇宙の中心と考えられているので、地球が太陽の周りを回っているという地動説は異端者の考えです。
なので、地動説を研究している人たちは逮捕され、拷問され、地動説の研究を捨てることを強要されます。
実際の歴史でも、例えばガリレオ・ガリレイが地動説を唱えたことで裁判を受け、有罪判決を受けたという事件が有名です。
しかし、実際には一部の地域では地動説を唱える人に激しい弾圧や迫害はあったものの、中世のヨーロッパ全体でそのような迫害があったわけではないようです。
ただ、一部の地域ではそのような弾圧や迫害があったこともまた事実で、狭い世界にいると、その弾圧が全世界で起こっているように勘違いしてしまうものなのでしょう。
「チ。地球の運動について」は、この「広い視点で見るとごく一部の地域や時代で起こっていたものを、当時は世界中どこでも起こっていたのではないか」という認識が、面白さの起点にあるのではないかと思います。
その常識は、「半径5メートル」でしか通じないかもしれない
常識とは、「普通、一般人が持ち、また持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む。」と辞書にはあります。
でも、「普通、一般人」が持っている知識や思慮分別は、住んでいる国や地域によっても時代によっても違うものです。
自分にとっての常識とは、自分の半径5メートル以内でしか通じないものかもしれません。
「チ。地球の運動について」では、太陽が地球の周りを回る「天動説」が常識で、そうではない「地動説」を唱えるのは異端で、処罰されるものというのが常識です。
でも、国も時代も違う私たちからすれば、意見が違うからといって拷問にかけたり火あぶりにするなんてとても常識とは思えません。
自分が常識だと思っていることは、実は案外脆いもので、もっと懐疑的でいるべきものでしょう。
税理士の常識、奈良県民の常識、男性の常識
私が仕事にしている税理士にも、「常識」と考えられているものは多いです。
- 顧問税理士がサービスのメインである
- スーツを着て仕事をする
- オフィスを借り、スタッフを雇うことが成功である
- 紙の申告書、紙の経理
- パソコンはWindowsのみ
- 電卓が商売道具
- 「税理士に丸投げ」が正義
税理士ではない人からすれば、常識ではないことも多いです。
他にも、奈良県民としての常識、男性としての常識、いろんな世界の常識があります。
もちろんその常識がないと「浮いて」しまうので、うまくやっていく必要があります。
でも、その常識の世界だけで生きていくのも、どうかと思います。
「チ。地球の運動について」では地動説を研究する人を拷問にかけたり火あぶりにしたりします。
読者である私たちは拷問をする人を「悪」と捉えがちですが、彼らにとってはそれが「常識」で、別に悪いことをしたいわけではありません。
私たちも、自分の常識の中だけで生きていると、他者から見れば「悪役」に見えるかもしれません。
そうならないために、自分の常識の外の世界に行ってみるべきです。
税理士がいない業界、趣味のイベント、海外など、自分の常識が通用しない世界に行ってみましょう。
▪️編集後記
昨日は家族3人で新しくできたカフェへ。娘はぐっすり寝ていました。
その後、自宅で税理士業。
▪️娘日記
お昼にカフェへ3人で行き、その後は自宅でゆっくり。
クリスマスプレゼントで、メリーが届きました。心拍音や森の音などの音楽を流せるのですが、心拍音を流すとよく寝るようになった気がします。