「104歳の禅師」に見る、毎日同じことをし続けることの意味

永平寺の住職だった宮崎奕保さんは、15歳から修行を始め、106歳で天寿を全うするまで修行を続け、毎朝座禅をし続けたといいます。毎日同じことをし続けるのは至難の業ですが、だからこそ意味があるのかもしれません。

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永平寺の「史上最高齢の住職」

宮崎奕保さんは、106歳で天寿を全うするまで永平寺の住職を務め、永平寺の最高齢の住職だった方です。

100歳を超えても若手の修行僧と同じく修行を続け、朝の3時から毎朝座禅をし続けたといいます。

仏教や禅のことは詳しくありませんが、若いときに始めた習慣を、100歳を超えても継続するというのはほとんどの人にとって不可能なことではないでしょうか。

毎日同じことをし続ける

良い習慣を身に着けることも、悪い習慣を断ち切ることも、継続することが最も重要であるといわれます。宮崎さんの座禅は、その最たるものでしょう。

何か良い習慣を身に着けたいと思って何かを始めたとしても、最初はモチベーションが高くても、次第に「こんなことやってて意味があるのだろうか」と思う瞬間があります。

ランニングにしても読書にしても、すぐに成果が出るものではありませんし、習慣づけて継続することはとても地味で退屈なものです。

なかなか成果も出ず、続けても意味がないと考えてしまうと、たちまち続かなくなります。

しかし実際は、「意味があるから続ける」というより、「続けること自体に意味がある」のかもしれません。

宮崎さんは修行を始めたとき、「座禅することそのものが悟り」であることに思い至り、そこから毎日座禅を欠かすことなく修行を続けたそうです。

NHKアーカイブス 宮崎奕保

良い習慣を継続することは、「習慣」自体だけでなく、「継続すること」自体にも価値があるのだと思います。

継続しないと壁にもぶつからない

ランニングを趣味にして、始めてフルマラソンに挑戦したとき、20キロ過ぎぐらいで膝の痛みに襲われました。

練習では20キロ走っても足が痛くなることはなかったのに、本番ではその20キロで足が痛み始めました。

その経験から足に負担のかからない走り方やリカバリの重要性について思い知りましたが、これも継続しないとわからなかった経験だと思います。

継続しないと壁にぶつかることもなく、超えるべき壁がないと成長もできません。

宮崎さんの座禅の話を聞いて、継続することの重要性を再認識しました。

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