経理のデータというのは数字なので、客観性が高いように見えます。横文字でいえば、「ファクト(事実)」と言えるものかもしれません。でも、経理のデータは必ずしも「ファクト」とも言えません。唯一絶対の答えなんてなくて、解釈の余地があるからです。
経理は「操作」できる
経理・会計のデータは数字なので、客観的なイメージがあります。
今月の売上は●●円、利益は**円というように、数字は一つしかないように見えますが、案外そうでもなく、「幅」があります。
ある程度金額の大きい設備や機械を買えば、減価償却をする必要がありますが、何年かけて減価償却するのか(耐用年数)というのは、答えが一つだけではありません。
税法が定めている耐用年数は資産の内容ごとに決まっていますが、それは別に税法が正しいわけではなく、税金を公平に計算するために便宜上決めているだけです。
経理はある程度操作ができるものです。
極論のようですが、節税も経理に操作の余地があるからできるものです。
操作する余地がなかったら、節税もできません。
決算書とは「主張」である
経理をした結果、出来上がってくる決算書も、そのような操作をした結果です。
そこには、経営者の「主張」が含まれているともいえます。
主張というのは、
- 今期に大幅な赤字を出したのは、来期のV字回復を目指して膿を出し切ったから
- 業績が良いときに利益を抑えて、代わりに業績が悪いときに利益を出すようにして利益を平準化したい
- 「◯◯年連続増収増益!!」という演出をするために、今期の利益を出しすぎないように売上や経費を調整
上場企業だと、こういうことはよくあります。
会社が、投資家とか債権者から「どう見られたいか」を意識して、経理のデータも変わっていきます。
「数字で語る」、「ファクトに基づいて判断する」というと客観的な視点を持っていて合理的なイメージがあります。
でも、少なくとも経理のデータは、ファクトとは言い切れない要素もあります。
「ファクトフルネス」なんてあるのか?
「ファクトフルネス」という本が数年前にベストセラーになりました。
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣
思い込みや勘に頼らず、データやエビデンスなどの「ファクト」に基づいて考えようというような本だったかと思います。
確かにそのとおりだと思いますが、そのデータやエビデンスが本当に「ファクト」なのかどうかは、その人の価値観とか信じたいものによって変わるものです。
「ワクチンは安心である」とエビデンスに基づいて主張している人もいれば、「ワクチンは危険である」とエビデンスを以て主張している人もいます。
「ファクト」に基づいていたとしても、主張が全く変わるということはあるものです。
会計・経理によって出てくる数字も、社長が会社をどう見せたいかで変わってくるものです。
ビジネスにおいては、ファクトはなかなか掴みづらいものだと思います。
▪️編集後記
昨日は大阪に出張で打ち合わせ。
それ以外は自宅で税理士業。
▪️娘日記(1歳)
夕方になると機嫌が悪くなるようで、晩ごはんの後は泣くことが多いです。
思いっきり泣いたほうがスッと寝てくれるので、いいんですけどね。