失敗から学べることはたくさんあります。でも、失敗すれば成功するとは限りません。「失敗は成功の母」とは言いますが、失敗を成功に変えるのも条件があると思います。
動画収録の失敗
オンラインセミナーをするとき、同時にZoomで録画をしていますが、収録に失敗することがあります。
- 収録するための機材が揃ってなかった(キャプチャーボードやUSB-TypeDとかを買い揃える必要があった)
- 画面共有していたスライドが収録されていなかった
- そもそも録画できていなかった(録画ボタンを押せていなかった)
- カメラの電源が途中で切れた(充電ケーブルをつなぐのを忘れていた)
- 照明の当て方を工夫しないと、顔が暗く見える。あるいはメガネに照明が反射してる
「どんだけ失敗してんねん」という感じですが、なかなかうまくいかないもので、失敗のたびに学びを得て、少しずつ成長していくものとポジティブに考えています。
収録に失敗しているとダメージも大きいですが、ダメージが大きいほうが、学びも大きいものです。
山王工業の堂本監督の言葉が沁みます。
「失敗を成功の母」にするのは、裁量と当事者意識
身銭を切ることが一番の勉強になることは多くの人が理解できると思います。
会社から指示されて(会社が費用を負担して)出席する「研修」はたいてい身になりませんが、自分でお金を出してセミナーに参加すれば、少しでも身に付けようと思うでしょう。
本も借りるより買って読んだ方が身になりやすいといいます。
社会人になってから私もいろいろ失敗してきましたが、独立前の失敗と、今回のセミナー収録の失敗とは学びの度合いにも違いを感じることがあります。
学びのある失敗と、学びのない失敗の違いは何か。
それは、「裁量の大きさ」と「当事者意識」ではないかと思います。
動画の収録は、自分でやりたいと思い、必要な情報を収集してインプットし、企画して収録まで完結させます。
イチから自分で学び、自分で作り上げていくと、その過程で経験した失敗も学びになり、「成功の母」となりえます。
会社という組織の中で自分がやる仕事というのは、たいてい大きなプロジェクトの中の一部分だったりします。
失敗したとしても、自分にとっては痛いことでも、会社にとっては些細なことだったりします。
また、動画の収録に失敗したということは、提供するサービスが一つ減ったということです。
動画販売の売上となるかもしれないものが一つ減ったというのは機会損失でもあります。極端に言えば収入がその分減ったともいえます。
会社で失敗をしても、評価が下がるとか居心地が悪くなるということはあっても、ただちに給料が減るということはあまりないでしょう。
もちろん、だから会社がダメというわけではありません。
失敗は許容されるという文化は心理的安全性も高まるでしょう。「衣食足りて礼節を知る」というように、収入が安定しているからこそ、組織として高いパフォーマンスを得られるという側面もあります。
それでも、個人の成長ということだけを考えた場合は、裁量が大きく、「生活が懸かっている」という強い当事者意識が、失敗をより大きな学びに変えられるのではないかと思います。
本を読んだだけでは経験とはいえない
身銭を切るという点では、本やセミナーを自分で費用を負担して受講することも身銭を切るといえます。
でも、本を読んだだけでは、知識は身についても経験は身につきません。知識だけで差別化は難しいものです。
本もセミナーもインプットとしてはコスパが高いものです。数百円〜数万円の投資で先人の知識や知見を得ることができるのですから。
でも、本やセミナーには「Zoomのスライドが収録できないことがあるかもしれないから注意しよう」みたいなことは書いていません。
照明をどう当てれば顔が暗くならないか、直接顔に照明を当てるとメガネに反射するし、少し正面からズラすとおでこに光が当たってハゲが目立つ。一般的な照明の当て方は本を読んでインプットできても、自分に合った照明の当て方は自分で探っていくしかありません。
本やセミナーは不特定多数に向けて発信しているものなので、程度の差はあれど一般的な言及に留まります。
具体的に自分自身が注意すべきことは、本を読んだうえで自分で経験していくしかありません。
本を読んだだけで得た知識は自分で得た体験ではないので、発信力は弱いです。
本に書いてあることを紹介するだけだったら、その本を直接読んだほうが速いでしょう。
自分で経験し、自分ごととして失敗や成長を繰り返していくことが、「失敗は成功の母」となる条件です。
▪️編集後記
昨日は帯解寺に行き、安産祈願へ。臨月なので、改めて祈祷してもらいました。
その後、西大寺の百貨店でランチ&買い物。自宅で税理士業&ブログ、Kindleなど。