公認会計士の監査法人離れが進んでいるというニュースを見ました。監査の仕事もそうなのかもしれませんが、なぜ一見無駄と思えるような仕事が増えていくのか、考えさせられます。
公認会計士の監査離れ
会計監査、担い手不足の瀬戸際 増える形式手続き、やりがい薄く離職増加
公認会計士が監査法人から離れていき、ベンチャー企業やコンサルティング会社に転職しているそうです。
実際に監査法人を退職した会計士へのインタビューによると、
本当に意味があるのかと思う部分まで、全てをしゃくし定規に記録に残す
労働時間の概念を取っ払って大量のチェック項目をつぶすことが生きがいなのか、自問した
形式的で膨大な作業が積み上がっている
といった声が上がっているようです。
私は経理職で、会計士による監査を受ける立場ですが、確かに大変でしょうね。
不適切会計が増えているというニュースもあり、監査をしている会計士も、決算に誤りがないかをチェックするための対応に追われているからこその作業の増加ではあると思います。
でも、現場で監査をしている若手の会計士からすれば仕事量が単純に増えて大変でしょう。
会計士の監査には、「リスク・アプローチ」といって、リスクの高い項目にリソースを重点的に配分して監査を行うという考え方があります。しかし、不正や粉飾決算が起こると、このリスク・アプローチの趣旨とは対照的に、細かいところまでチェックすることを求められ、しかもそれを文書に残すことが求められているようです。
監査法人としては、後で会計士協会や金融庁からいろいろ言われたり怒られたりしないために「ちゃんとやった」ことを記録に残しておきたいのでしょう。
確かに現場の会計士の負担は増えていく一方でしょうが、この流れはなかなか変わらないと思います。後で怒られないように、記録を証拠として残しておく、というふるまいは、組織でも個人でもどこにでもありふれる光景であるように思います。
会社員に求められるのは、高い能力ではなく、ルールを守ること
自分がどれだけ無駄だと思う仕事であっても、最初から無駄なことをするためにその仕事が生まれたわけではありません。
謎の社内手続き、謎の承認、謎の社内共有の連絡・・・
意味はわからなくても、もともとは何かしらの意味があるはずのものです。
でも、組織が大きくなったり、会社のフェーズが変わっていくにつれて、だんだんと本来の趣旨がわからなくなり、形骸化し、そして「ブルシット・ジョブ(クソ仕事)」になってしまう。
でも、会社にとっては無駄になった仕事であっても、ルール通りしっかりやることが求められます。
組織で動いている以上、組織の秩序が乱れるような行為は回避すべき。
また、組織で動いている者にとっても、(無駄とは思いながらも)ルール通り業務を行うことと、「これは無駄だ」といってルールを変えようとするのとでは、何というか、コスパが違いすぎます。
どんなに無駄だと思える仕事でも、ルール通りやっていれば怒られることはないでしょう。「ルールにのっとって業務を行った」ということで、その人の責任は回避されます。
一方、ルールを変えようとすると、膨大なタスクが発生します。
既存のルールとその問題点の把握、解決策の検討、利害関係者との調整、施策実行後の振り返り・・・
それだけのことをやってもしうまくいかなければ、「会社をかき乱しやがって・・・」と白い目で見られることもあるでしょう。
よほど志が高くて愛社精神があるか、特別な給料でも出ない限り、やってられない。
仕事において、高い能力を発揮することより、怒られないようにコスパ良く働くというのは重要なスキルなのではないでしょうか。
監査法人の仕事が無駄に記録を残しまくる方向に動いているのは、社会人として「合理的」にふるまった結果なのかもしれません。
その結果、現場の会計士にしわ寄せがいったとしても、解決は難しいでしょう。
「忙しさ」に満足しない
無駄な仕事で忙しくなってしまうのはつらいものですが、一方で、そんな忙しい自分を少し誇らしく思ってしまうこともあります。
そしてそれも、無駄な仕事がなくならない要因の一つかもしれません。
手帳が予定でいっぱいになったり、打合せ続きで会議室を急ぎ足でハシゴしてたりすると、そんな忙しい自分に酔いしれてしまうことがあります。
口では「忙しい」と言いながら、無駄な仕事で予定がいっぱいな自分に少し満足してしまう。
まずはそんな自分に満足せずに、冷静に自分の仕事がどれだけの価値を提供できているのかを考える必要があると思います。