知識を「覚える」ことよりも、「考える」ことが大事なのはそのとおりですが、知識がないと考えることもできません。「答えのないこと」を考えるには、少なくとも「答えのあること」は効率的に答えにたどり着く鍛錬=勉強は必要不可欠です。
「答えのない問題」を考えるには、知識が必要
少し前の日経の社説に、以下のような記事がありました。

確かに、実社会では学校のテストのように「答えのないこと」は多いです。
- 会社を辞めて転職したほうがいいのか、今の会社に居続けたほうがいいのか
- 独立したほうがいいのか、しないほうがいいのか
- 家を買ったほうがいいのか、借りる方がいいのか
- この人と結婚していいのか
- 部下への接し方は今のままでいいのか
- やりたくない仕事でも、売上を上げるためにやるべきかどうか
あらゆることが、「答えのないこと」で、合ってるかわからなくても自分なりに考え、決断し、進んでいくのが人生です。
「答えのないこと」を考えるのに、知識を詰め込む教育は不要なのか。
私は必要だと思います。
知識がないと、「答えのないこと」を考えることすらできないからです。
「真面目にコツコツ」は軽視されがち
有名な経営者やインフルエンサーは、「日本の学校教育は知識を詰め込んでいるだけ。考える力を養う教育をしなければならない」みたいなことを言う人が多いです。
しかし、「知識」がないまま「考える力」だけあったら、変な陰謀論とか宗教にのめり込んでしまうだけです。
正しく考えるには、正しい知識が前提条件です。
そのためには、学校でまずはビッチリ知識を詰め込んだほうがいいのではないかと思います。
例えば、時計の読み方を覚えるのに、理屈なんて考えることはありません。
短い針が「2」を指していて、長い針が「12」を指していたらそれは「2時」です。
「答えのないこと」を考える力をつけるために、「なぜ午後2時は14時ともいうのか?」とか「そもそも時間とは何か?」みたいなことを小学生に考えさせても意味はないでしょう。
さっさと時計の読み方を暗記させて詰め込ませたほうが実社会では役に立ちます。
真面目にコツコツ、優等生でいるというのは、センセーショナルな意見が多いSNSやテレビの中では軽視されがちです。
しかし、みんながみんな、イーロン・マスクみたいにクセの強い人だったら社会は回りません。
抜本的な「改革」を成し遂げられる人も必要ですが、日々のコツコツとした「改善」を積み重ねる人も同様に必要です。
「知識偏重」で何が悪い?
「答えのないこと」を考えるためには、少なくとも「答えのあること」は効率的に答えにたどり着く方法を身につけるべきでしょう。
そのためには、知識を暗記して詰め込む=勉強することが一番効率的です。
テレビやYouTube、SNSでは、学校で大人しく勉強していたり、仕事で真面目に働いている人を「思考停止」といって揶揄する人も多く、そういった声が大きくなりがちです。
でも、そういう真面目でコツコツ続けている人が、結局社会を回しています。
変な情報に踊らされず、真面目にやるべきことをやっている人が最強ではないかと思います。
▪️編集後記
昨日はオフ。
ランで8キロ走りました。やっぱり足首の調子が悪く、ランはしばらくリカバリします。
▪️娘日記(0歳)
昼の授乳の後、自宅近くのスーパーの休憩スペースに2人で行きました。
私はブログ、娘はベビーカーでまったり。ちょっと昼寝もしました。