「仕事に追われすぎないために、余白が必要」とはよくいわれます。しかし、余白をつくるのは簡単ではありません。余白があると、余計なことで埋めようとしてしまうからです。
余白(ヒマ)をつくると、埋めようとしてしまう
自分のやりたいことを仕事にするために、あるいは考えを深めていくためには、余白をつくることが大事だとよく言われます。
余白の時間を持つことで、自分と向き合い、本当に自分がやりたいことや好きなことが何なのかを考え、そしてそれを実行に移すだけの余力をつくることができるといいます。
確かに毎日仕事に追われすぎていると目の前のことでいっぱいになり、やりたいことがあってもそれをやる時間がありません。
たまに休みがあっても、体を休めることで終わってしまいます。
そうならないためにも、普段の生活から余白をつくっておくことは大事なのかもしれません。
そして「余白」というのは、生活の中に少なからずあるものです。
通勤の電車の中、トイレに行っている時間、移動の道中、お風呂の中など、細かいところで見れば、余白の部分はいろいろあります。
そういった“スキマ時間”を使って本を読んだり、自分の好きなことは何かを考えることもできるでしょう。
しかし、この余白を有効に使うことは簡単ではありません。どうしても余白があると何かで埋めようとしてしまうからです。
電車の中でスマホを触ってしまうこともあるかもしれません。食事の後にテレビをつけてしまうこともあるでしょう。
どうしても余白があると、それを何かで埋めようとしてしまいます。
『暇と退屈の倫理学』という本では、人間にとって「暇であること」は最も苦痛である、と書かれていました。
余白をつくる=ヒマであることは、つくりたくてもつくりにくいものです。
余白をつくる勇気
余白をつくることは、勇気がいることでもあります。
ついついスマホを触って動画を見たり、SNSを開いたり、ネットニュースを眺めたりしてしまうことはよくあるでしょう。
別に見たいわけでもないのに、無意識にアプリを起動させてしまいます。
それは、余白をつくることに無意識に恐怖があるからです。恐怖から逃れるために、ヒマな時間があるとスマホを触ってしまいます。
ですから「余白をつくる勇気」、ヒマであることに慣れることが大事です。
電車の中でスマホを持たずに過ごすようにすると、頭の中で他のことを考えるようになります。
そうした考えの中には、案外仕事のアイデアやブログのネタなど、有益なものが出てくることも多いです。
余白のつくり方
余白をつくるためには、勇気が必要です。「ヒマであること」に耐えることです。
そのためには、スマホを持ちすぎないほうがいいでしょう。
特に、「三上(馬上・枕上・厠上)」といわれる、移動中、ベッドの枕元、トイレの中などは、ついついスマホを持っていってしまいがちです。
また、何か考えが浮かんだときにすぐ書き留められるよう、メモを持つようにしています。
私の場合は、ロルバーンのポケットサイズのメモ帳とペンを常に持ち歩いています。

スマホでメモを取ると、つい他のアプリを開いてしまいますが、紙のメモであれば余計なことに時間を取られずに済みます。
余白をつくるのは簡単ではありません。
しかし、それだけに大事なことでもあります。
やりたいこと、やりたくないこと、自分の考えを明確にするためにも、「余白をつくる勇気」を持つようにしましょう。
▪️編集後記
昨日は午前中は税理士業の事務作業。
午後はお盆休み中の友人宅へ私と娘で遊びに行ってきました。
▪️娘日記(0歳)
友人宅では、寝かせようとするとギャン泣きしてしまうため、ずっと抱っこしていました。
初めて行く家だったので、緊張したのかもしれません。